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淡々と自分の出来事を振り返る22歳女の日記

就活日記①7月終わる3日前に内定がでた話

7月の終わり、世は就活が落ち着きだし、周りの友人もほとんど就活を終えていた。私は仲の良い友達の中でも特に最後に決まった人間だ。

コロナによって旅行に行く人や居酒屋で飲みまくる人達をインスタのストーリーで見なかった事は大きな救いだったかも知れない。てか、インスタのストーリー全員ミュートしてたからどっちみち見てないわ。

 

就活を経て色々な事を考えたし心が死んだし、自分を嫌いになった。でも、その代わりに他人の優しさに気づいたり、自分の「私って良いじゃん?」って部分も見つけた。

まあ、もう絶対にやりたくないけど。オンラインでの就活は前例が無く手探りだったのは就活生も企業側も同じだ。それでも、『就活』をしてきた人特有の苦しみを身を持って経験したと感じてる。

選ばれる、選ばれない。不合格のメール。サイレント。人事のよく分からない質問。何が正解?って思いながら自分の自己肯定をすり減らしてやってきた就活。高い奨学金を背負ってまで勉強してきた事を認められない悔しさ、悲しさ。自分の能力のギャップ。

 

就活を終えて私は、①twitterに現れる自称人事と言って学生の味方面して色々アドバイスしてくる奴②就活はゲームだ、とか言っちゃう奴が嫌いになった。

twitterで人事垢のアドバイスに頭を悩ませる人は徹底的にブロックしろ。就活はゲームだとか言う奴は殴れ!お前がゲームだと言って笑う物に命賭けてんだ、こっちは。

この記録は私の振り返りだから、記憶が曖昧だったりめちゃくちゃ私の主観が入りまくる予定。何か教えたいとか何かコツを伝えたいみたいな、たいそうな事は無い。だけど何か元気になるきっかけになったら嬉しいです。

 

 

①私のスペック/大学について

私のスペックを書くとこんな感じ。偏差値50ぐらいの高校から付属の大学へ進学。

一応理系だったが、数学は何一つできない。なぜ理系に進んだ。なんなら算数から怪しい人間だ。かといって文系の暗記が得意だった分けでも無い。英語もゴミ。できる人を本当に尊敬する。そのくせ大学2年生の時、海外ボランティア10日間とかに参加したから親譲りの無鉄砲なのかもしれん。(坊ちゃんかよ)

でも国語は大好きかな。そんな私は絶対に自分のしたい事しか勉強を頑張れないって分かっていたから、デザインを選び学んだ。高校生の時からデザイン系の仕事に就いて広告業界で働きたいって漠然と思っていた。

大学の2年間、地獄の(楽しかったしめちゃくちゃ良い思い出だよ)某有名予備校のアルバイトをする。ここのアルバイト経験が私のガクチカに繋がった。

大学の制作活動も負けたくないから絶対に選ばれるようにしていた。教授に気に入ってもらって沢山教えてもらった。(この教授との大事件もいつか書きたい)頑張っていたからこそ、「みんなよりも早く内定が欲しい」「みんなから凄いねって言われたい」という見栄や自己評価化け物がむくむくと大きくなっていった。小さな見栄や自己評価は小さいからこそ輝きがあり可愛らしく愛しさがある。しかし、その容量を超えると醜い化け物になる。私は、それを隠すのが上手で自分自身も就活をするまで気づかなかったのだ。

 

性格で言うと生粋のB型。私は人見知りしない(?)性格で誰とでも話すのが好きだった。人見知りじゃないわって大学に入って気づいた。死ぬほどのお喋り好きで口が止まらない。笑わせるのが好きだった。自分の失敗話も笑い話として話すのが好きだった。なんか、こうやって書くとめちゃくちゃ頑張り屋さんの陽気な奴やんって感じるんだけどなんだこれ???

問題も沢山あるぞ。まず自分の意見が強すぎる。自我が強すぎって事だ。それ故、一直線に走り出したら止まらない止まらない。それに爪の甘さも相まって完璧主義者が見たらぶち切れ(多分普通の人が見てもぶち切れ)の大ミスをやらかすのが私だった。ちなみにこの問題点は就職活動で大きく発揮してしまった。馬鹿である。

 

就活で大切と言われる自己分析。私はそれができているって高をくくってた。自我の強い一直線女には爪の甘さが自己分析にも出ていた。「他人から見た自分より、私の方が自分を一番分かってる」って本気で思ってた。違うんだな。自分の知る自分はほんの小さな部分なんだな。私はこんな人間だって思っていても他人がそう思わなければ違うのかもしれない。自己分析は1人ではなく、友達とできれば沢山話しながらやるのが良い。それに気づくのが遅かった。

 

ガクチカ/挫折経験

ガクチカって略すの知らなかった時期、まじで何の意味?どういう流行?って思ってた。学生時代に一番力を入れたこと、私は塾でのアルバイト経験と大学の制作活動をメインにESに書いたり面接で話していた。この部分に関しては本当に頑張っていたし、問題は無かったと思う。私はアルバイトでバイトリーダーをしたりしていた経験もあって色々話すことができた。

これと同じように『今までの一番の挫折とそれを乗り越えた話』が聞かれる。この挫折話について私は大学時代の話が良いだろう、面接官に評価されるように話した方が良いのかな?と考えて本当の意味での挫折経験とは違った話をずっとしていた。簡単に言うと、塾のアルバイトを頑張った話に少し挫折経験を織り交ぜて話していた。自分自身、一番の挫折じゃ無いから話す内容に濃さも無く、今思うと多分面白くないよなって感じる。病んでた時期は本気で、挫折経験は「今この就活」で乗り越えるには「お前が内定くれればいいんだよ」って思ってた。(過激派、でも絶対にそう思ってた仲間がいるはず)

私の人生の一番の挫折経験は高校時代に遡る。この挫折経験を話して本気で自分の苦しみと学んだ事を話すことができた会社が1社だけだった。その会社から内定をもらい私は働く。この話を出すまでに本当に時間がかかった。ここの話も詳しく書きたいな。

 

就活の条件/業界や職種

広告代理店のデザイン部署に入りたい!という目標の下、就職活動を始めた。勿論私は美大出身でも無いし募集人数がそもそも少ない世界である。過酷を極めた世界に入っていこうと意気込んでいた。そこから就活を始めてどんどん方向性が2転3転としていったけどここは大切にしてたかな?って項目を書き出してみる。

広告業界/WEB業界

=デザイン部署(ディレクター/デザイナー)

ふんわり営業(?)を視野に入れてる

 ◎広告業界/WEB業界

=デザイン部署(ディレクター/デザイナー)

営業・広報

WEB業界

=デザイン部署

WEBディレクター/WEBデザイナー

に業界や職種は変化していった。変わらないっちゃ変わらないのか?

広告に携わりたいという思いは変わらず持っていたが、広告代理店の就職ではなく今あるカードで戦えるのは何か?を考えてWEB業界のデザイン部署での就職に最終的には落ち着いた。大学での勉強内容とかのマッチが高いのがこっちだった。個人的に企業選びで気にしていた項目が

・オールインハウス

ベンチャー要素がある社風

・オフィスが綺麗か素敵か

・給与が私の基準を超えるか(奨学金返済があるためシビアに見た)

・東京勤務の移動なし

・住宅補助ができれば欲しい

・若者が多く働いているか(おじさんが嫌い)

・制作会社やデザイン事務所は絶対に嫌だ

である。最後の項目に関しては何で???ってなると思うけどおいおいこれも書く。

そもそも何で、広告業界に進みたくてデザイン学んだ?って話だけど、私は小さい頃からデザインが好きだった。何か頭飛び出た物が無かったり(勉強はダメ運動は普通)結果が残せない私でもデザインでは褒められることが多かった。そんなデザインが最高にかっこよく使われて人の心に残る媒体が広告と感じたのだ。そこで働けたらどんなに良いだろうと思ってずっと夢見てきたのだった。と言っても有名大学でもなく、スペックの高い人間でもない自分は広告代理店への就職は難しいんだけどね。

 

私はデザインスキルをめちゃくちゃ伸ばしてプロのデザイナーになって独立したい!!とか、私の芸術性を!!とかって感じじゃ無いんだよね~。会社の組織の中で、クライアントやユーザーのために、あーでも無いこうでも無いって物作りをしたかった。

 

ここからは受けた会社とか、出来事を書いてくよ!思ったより書き込んじゃうわ!!卒論より指が動く動く☆ミバイト行ってこよっと。気長にお付合い下さい~~~