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淡々と自分の出来事を振り返る22歳女の日記

就活日記④終わり

前回、内定までの道のりをざざっと書いたから小話を書いて行こっかなー。8月に入った。就活終わったら〇〇やりたい!〇〇するんだ!って気持ちが沢山あったけど何も手をつけてないな。ただ、ただ今流れる時間を垂れ流してる。この記録がひと段落ついたら、目標でも書こうかしら?

 

私は人と話すのが好きだった。自分の話をするのも好きだし相手の話を聞くのも好き。でも面接だと全然上手くいかなかった。

起承転結に文章をまとめて相手に伝える事が難しい、自分の意見ばかり押し付けてしまう。相手が聞きたい話より自分が話したい話をしちゃう。書き出していくと、私はコミュニケーションが好きなだけで上手な人では無かったと気づく。(現在進行形でこの悩みを深刻に抱えてる)

 

相手に寄り添って話を聞く、相手を理解する。難しい。本当に難しい。本質的なコミュニケーションが求められる就活では、私のこれは致命的だった。逆に今まで良く友達と楽しく話してたなと思う。でも実は、コミュニケーションの難しさは大学でよく感じてた。よく分からないけど何だか話してて「?」「楽しいのかなこの話?」と思う瞬間が多々あった。

自分本位で全部考え過ぎてたなー。

 

コミュニケーションって何?

自分本位をどう変えていけばいい?自己中を認めてどう変えてけばいい?

0か100のガチゴチの固定概念を無くすにはどうしたらいい?

難しい。本当に難しい。この先ずっと悩むんだろうなっと思う。

 

就活期間、私の癒しは「週に一度の散歩」「小説」「お笑い」「逃げ恥(再放送)」「新しいアルバイト」だった。

 

起きた事に対して、自分の意見を吐き出したくなるし自分を振り返ってると頭がうるさ過ぎて死にそうになる。日記に書いても、多少は変わるがどうにも救われない。週に一度の友達との散歩は、そんな私には救いの時間だった。就活以外にも日々思う事、くだらない話、偏見、何でも話した。

 

小説は私にとって貴重なライフラインかもしれない。何かに追い込まれたり悩んだ時気づいたら読んでる。就活期間(一番辛い5.6月)、再読した本も含め5〜6冊は読んだ。

個人的には、「人間失格」「出会い系サイトで70人に実際にあってその人に合いそうな本を勧めまくった1年間のこと」「サラダ記念日」「天才は諦めた」が良かったな。

 

自分本位にしか話せなくて考えられない人間の矯正に小説は向いてるかもしれないって思う。

 

お笑い、特に霜降りとオードリーは就活期間でハマった。若林の書いた本を買ってしまったほど(ナナメの夕暮れは最高)お笑いに詳しくないし、ミーハー所かもしれないけど笑顔も笑いも消えた私には良かった。

 

 

新しいバイト先は、褒められる事も認められる事もない今の時期、ただただ癒しを求めて始めた。大の和菓子好きだったため和菓子でのバイトを始めた。限界就活生のおっちょこちょい、適当な私だが、和菓子に囲まれ優しいおばちゃんに褒められバイトするのはセラピー的要素があったかもしれない。

 

何かで見た言葉があった。

「暗い気持ちになって冗談でも"今、自殺したら"などと考えてる時に、知人からの電話やふと開いた画集の絵に救われる事がある。それはその日の天使なのである」

 

限界で、性格も変わって、病んで、人から嫌われ出したどうしようもない時に出会う救いって一生忘れないよね不思議。その救いを見る度にその苦しい記憶が思い出されるのも不思議。

 

 

 

就活日記③7月終わる3日前に内定がでた話

就活をしているとtwitterで「21卒」「21卒 NNT」と検索することが増えてきた。

そんなの見てる暇あるなら就活やれよ、と言われたら何も返す言葉がないが私にとっては居心地の良いコミュニティだった。つぶやきの気持ちが共感しすぎて思わずいいねを押しまくってた。そして、そんな数々のNNTアカウントも内定をもらっていき、【実は内定頂きました!】【ご報告】というツイートが並び出す6月の終わりから7月の頭。ツイート内容が私の心にクリティカルヒットしていたアカウントが、内定報告していた時は本気で「おおおおおおっっっっっ・・・・!!」って声出した。(顔も名前も知らない人なのに不思議だよね)

就活の苦しさをツイートしていたアカウントの人と飲んでみたいわーって今思う。

 

さて、数々のどん底エピソードとどん底メンタルで終了した前回のblogだが広告代理店からWEB事業の企業に移って行ったタイミングでまだ思い出に残る企業があるので書いていく。

 

①BtoB事業中心のWEB制作会社/WEBディレクター職

制作会社は絶対に嫌だって思っていたけど、何かこの頃はそんなこと忘れてた。

ここらへんからWEB事業をやってる企業を中心に見てた。大学の勉強内容、私のやりたいこと、求められてることがマッチしてるのがWEB業界だった。

 

エージェントに紹介してもらって何度か面接し、印象の良い企業で、相手の私への印象も結構良かったため最終面接まで進んだ。最終面接は対面+課題プレゼンがあった。面接の前日に2時間ぐらい友達に協力してもらってプレゼンのポイントやこの課題が出るんじゃない?みたいな予想を立てた。

 

面接当日、蒸し暑い中相変わらず真っ黒なスーツを着て都内に向かう。パンプスの靴ズレで血が出た。何故、血を出しながら就活しないといけないんだ。3人のお偉いさんと私。課題はサイトの比較プレゼンと、私の大学の素晴らしい部分を400字で書くという内容だった。時間は90分。私は焦って時間が足りなかった。

発表後、まず面接官から一言

「私たちが求めてる事と違うことをしているのが分かりますか?」を言われる。パニック、一体何が起きた、この密室で。正直に「申し訳ありません、教えて頂けますか?」と聞いた。

 

あ、多分「就活日記①」にも書いたけど、私は超ド級のおっちょこちょいである。

 

どうやらサイトの比較は3つして欲しいところを、私は読み間違えて2つしか比較してないというのだ。私のおっちょこちょいがこれでもか!!と言うほど最大にして最悪に発揮された瞬間である。注意を受けながら、就活アドバイスというより、人間としてのアドバイスを3人から一斉に言われる。誰か殺してくれ!!!!!???と思いながら身に染みて聞いていた。これほど自分の性格を嫌いになったことはない。

その後は、余り覚えてないけど泣きそうになりながら家に帰った記憶がある。

 

貴重な最終面接のチャンスを、私の失敗で逃したのだった(n回目)

 

ここまで書いていて、とんでもない大馬鹿者だなって感想とそりゃ内定もらえないわけだわって半笑いである。でも私はどうやら人に恵まれる才能があり助けてもらえることが多かった。あと、こんなに焦っていた割には友達の内定報告は心から喜ぶことができた。本気でおめでとう!本当に良かったって思いながら聞いていた。

この気持ち、いつまで持てる?持てなくなったら遂に終わりか?って思いながら過ごしてたのを思い出すなあ・・・。

 

【入りたい!ここで働きたい!と思う企業に出会う】

②インフラ系IT企業/WEBデザイナー

 

自分から見つけたというより、エージェントに紹介してもらった企業だった。

私は本気で就活に悩んだら一人じゃなくてエージェントに頼ることを強く勧める。私は本当に良くしてもらって沢山助けてもらえたから。(エージェントによっては怪しいのもあるらしい、twitterで知った)

 

WEBデザイナー募集のIT企業。何気なく説明を受けたら私の条件項目に全て当てはまっていたし、何より社員の人が本当にいい人だった。やりたいこともここなら出来るって思った。絶対にこの企業の内定をもらおう、今までの失敗を絶対にしないと誓った。

 

夏の就活では募集がもうほとんど無くなってくる。あったとしても1~2人の枠。ここまで就活してきたような人間だ、何かが足りないはず。1~2人の枠に入るには完璧にして行くしかない。

 

2次面接、今までの内容をブラッシュアップしつつ「挫折経験」をその企業にだけ、見栄を出さないで、立派なことを話そうって気持ちを無くして、本当に辛かった挫折経験を話した。うまく話せたかは分からないけど、この経験が今の私を作ったんですって話しきった。その後、よくある質問をされながら話していき、2次面接は無事に通過することができた。

私の本当の挫折経験は高校2年生に遡る。部活動での話だ。4月に受けた第一志望の企業でこの話を出来たら受かってたのかな?って思っちゃう。

 

最終面接、気合いは十分。最終面接の30分前に二次面接を担当してくれた人事の人から電話が来た。事務的な変更のお知らせだったけど、最後にきっと大丈夫だから頑張ってって言ってもらえた。

最終面接は全ての総集編といった感じだった。1時間の面談だったが私への質疑、逆質問込み込みで1時間20分ぐらい話した。全ての質問に対してすらすら口が動いた。自分を見つめ直して本音で話してるし、本気で入りたい企業だとこんなに口が動くのかってびっくりした。

 

最後に伝えたいことがあります、と申し立ててこれまでの面接のお礼を伝えた。私はこの企業が第一志望だし就活を通してこの企業を知ることが出来て良かった。と伝えた。全部やり切った。もうこれで落ちたらどうしたら良いのか分からないぐらいだった。

 

いつもなら駒がなくなれば3~4個補充していたような女だ。この時はそれをしなかった。確信があったからというよりも、ここまで出し切ってダメならもう何をしても無理だと思ったからだ。

 

【内定がもらえた】

次の日のお昼過ぎ、母親としょーもないワイドショー番組の話をしてる時メールが届いた。『21新卒採用 合・・・』まで見えた。いや、落ち着け。もしかしたら合不通知とかかも知れないと最終面接不信の私は、訳の分からないことを考えメールを開いた。

結果は合格。その後すぐに電話が来た。「内定おめでとうございます。」この言葉がこんなに嬉しいとは思わなかった。ありがとうございます、ありがとうございますと、ずっと言い続けた。人生で初めての内定、私は就職活動を終えた。

 

 

ここまで、この長い長い私の自己満語りを読んでいてくれている人がいたら本当にありがとうございます。

長くて長くて終わりが見えない。でもテストと違って何もしなくても勝手にあちらからやってくる物でもない、自分で動かないと終わりはないのだ。勝手に終わってくれない。就活垢を眺めて精神を保つ。自分の生き方の下手くそさに泣けてくる。

周りより早く始めてたはずなのに終わらないのって何で?こんなに面接もしてるのに全然合格できないって私は人間として欠落してるのか?と。内定を1つでも持ってる人とNNTは絶対に気持ちを通わせられん!とか思ってた過激派思想。辛い思いをしてる人は沢山いるし、思っていること全部共感します。

 

でも就職活動は、嘘つき大会ではなかったと思う。たまに、何の対策もしないで素のままの自分を見てもらうわって言ってる人がいるけど違うんだよね。でもその腐る気持ちも痛いほどわかる。就職活動は腐ったら負けなのかも知れない。腐って自分で自分の殻に閉じこもってこの世を恨む、そうなったら出てくるのが難しい。

 

21卒は見えない未来に不安なリモート就活、色々なことがあったと思う。就活を終えた人は本当にお疲れ様です。まだ就活を頑張っている方は腐らないでください。絶対に貴方に合う企業はあります。必要としてくれる企業はあります。

 

これを言われていた当時は、全然響かなかったし私が入りたい企業はもう無いんだよ

!!!私を必要としてる企業がある無いとかじゃなくて、私が魅力を感じる企業がないんだよ!!とか思ってた。でも腐らずに行動をし続けてみてください。自分のやりたい事を諦めないで考えてください。きっとあります。でも、疲れたら自分の癒やしを見つけてください。

 

ちなみに私の就活中の癒やしはお笑い(特に霜降りとオードリー)、小説、逃げ恥(再放送してた)、週に1度の友達との散歩でした。

 

このblogは、大学時代何も頑張れなかった大学生が就活で大企業に入れた逆転劇でも、Fラン大学生の努力からの有名企業内定ゲット!話でもなく、

大学生活もアルバイトも人並みに頑張って早めに就活をした大学生が、全然うまく就活出来なかったし決まったのが遅かった話です。なんだこれ(笑)

 

次のblogは私の就活小話と、なんでこんなにうまくいかなかったかをぼちぼち書いていこうかな。

 

 

 

就活日記②7月終わる3日前に内定がでた話

この記録もしかしたらとんでもない文章量になるんじゃね?って予想されてる。あの時の自分ダメだったわー、とかあの時の面接官マジで意味分からん、とかタラタラ書くと凄いことになりそう。

 

ここからどんどん受けた企業とか面接の思い出をガリガリ打ち込もうと思うけど、私の本格的な就活スタートは3年の9月?とかそこら辺から始めてた。細かく言えば2年の冬ぐらいからよく言われるインターンってやつに参加していた。私は将来の進路に対して超危機感があったから周りよりも早くインターンに参加をしていた方だと思う。

 

インターンに参加した企業は、アプリ会社、看板×IT事業の会社、広告代理店、デザイン事務所・・・結構行ってたかも。私はあんまり、絶対この会社で働きたい!って思うような会社がインターン中に見つからなかったり、ゴリゴリの制作に行くか営業に行くか迷ってたりしてたんだよねー。今は絶対制作会社やデザイン事務所に行きたくないって思うけど。

 

インターンに早い時期から参加して良かったと持ってる。早期選考もあるし、仕事内容を理解できたから。

でも、それと同じぐらい私には早い時期からインターンやらの就活をしていた事による『自信』と『安心感』を感じてしまってた。これが私を苦しめた!!!!!!本当にめちゃくちゃ苦しめた。この2つの要素があったせいで早く決まらない事への悔しさ、悲しさ、惨めさ、焦りが何倍にもふくれあがった。

 

受けた会社とか記憶が曖昧な部分もあるけど印象に残ってる企業や出来事をメインに書いていく。時系列に書きたいけど文章がややこしくなりそうだなー、思い出しながら書くね。

 

【3年9月就活本格スタート】

①大手広告代理店のクリエイティブ職

結構その業界の中では有名な広告代理店。インターンに参加したことにより、早期選考のチケットをゲット。この会社が私の初めて受ける第一社だった。都内のでっかいビルにて、始めての面接。緊張してたのを覚えてるけど、まだ就活を全然甘く見てたな。

 

一次面接は絵に描いたような「スタバでMac開いて仕事してます系ちょい髭長髪メガネ」だった。こんな人本当にいるんだ(私は田舎者だからそんな人普段見ない)と思ったのを覚えてる。面接は緩い会話という感じで逆質問の時「現在の広告は炎上問題や差別的表現で問題になったりと表現に難しさを感じていますが、普段どういったことを気をつけて広告制作をおこなっていますか?」的な事を聞いた気がする。この質問がヒットしたのか凄い勢いで話してくれて、多分私の話す量の2倍ぐらいあったはず。

 

結果、1次面接が通過しクリエイティブ試験を受けた。でもクリエイティブ試験が激ムズで落ち終了。あっけない。

 

【3年12月-4年4月】

②大手WEB広告代理店のアートディレクター職

年内最後のインターンで意気込んでたんだよな~。ちなみにこの会社は私の第一志望になる会社だ!!まあオチは題名がコレだから分かると思う。2日間のインターンに参加。

 

ここで私は財布を忘れて、定期代がなく家に帰れないかもという失敗をやらかす。インターン初日に同じグループの女の子に、泣きそうになりながら「1000円貸してください」って言った時は死にたくなった。その子は良い子で、笑顔で貸してくれた。

 

このインターンは5グループに分かれて課題に取り組み、1つのチームが優秀賞に選ばれる内容だった。1000円札を握りしめて絶対に優秀賞を取ってこの子に恩返ししたい・・・!!と誓った夜であった。結果、私たちのチームは優秀賞をもらった。会社の雰囲気も事業内容も良くこの会社が私の第一志望となったのだった。インターン参加により早期選考ゲット。

 

一次面接、クリエイティブ試験、二次面接、最終面接・・・順調にコマを進めてきた私はこの会社に内定をもらえると謎の自信を持っていた。途中でコロナによって2次面接がWEBになったが、最終面接は対面予定の3月末か4月の頭かで選ぶ事になる。私はこの時4月の頭を選んでしまったが故、コロナの影響でWEB面接になってしまった。これが1つ目の大きなミス。もう1つのミスが最終面接を受かる面接だと思っていたこと。ろくに対策もしないで挑んでしまった。爪の甘さ発揮~~~~。

 

私の面接の決まり文句はいつもコレだった。「私はこの会社に絶対入ると思ってます」

親譲りの無鉄砲・・・・。いや・・・私の弱点、無鉄砲・・・。恥ずかしい話である。逆にこれを言いまくって最終まで来たのが凄い。最終面接は何を聞かれて何を答えたか覚えてない。無我夢中で実感のないモニターを見ながら話してた気がする。

 

私は、ガクチカに書いていたアルバイトの話をして評価してもらいたかったけど、何故か中高の部活の話を聞かれた。私は準備していなかったため、全然うまく話せなかった。結果が出なくても練習に励み部活動に打ち込んだと伝えたら、「なんでそんなに練習頑張ってたのに結果でなかったんだろうね?どうして?」って聞かれた。

 

今思えば、面接官は結果が出ない事への対策・どう行動したか・気持ちの変化を聞きたかったんだと思う。私の「結果が出なくても」の言い方も悪かった。最初、私は動揺して何でそんな意地悪なこと言うんだ?って頭が?????になった。

 

全く手応えを感じずに面接は終了。でも、受かっているような気もしていた。根拠のない自信とはまさにこのことである。2週間経ってメールがきた。不合格の文字。4ヶ月間の頑張りがたった1通のメールで崩れたあの時のショックは大きかった。初の挫折だった。その日の夜は泣きながら友達に電話して、そこから1週間以上毎日このメールを見ては泣いて寝る前に泣いて何にもしなかった。

 

採用人数自体5人と少ない枠だったが、美大でもない私がアートディレクターとして道を歩める良い環境が整っているのがこの企業だった。完全に私の夢は絶たれたと思った。

 

高校からの親友で同じように就活を頑張っていた友達がいた。(この子は私が泣きながら電話した友達)私もその子も社交的でお互い順調に就活が終わると思っていた。その子は4月に大手の不動産の内定を3つ出て終了した。私も一緒に終わるもんだと思っていた。

 

ここから私の地獄が始まる。

 

【地獄の就活/4年4月-6月】

私はこの第一志望の企業の他に大手の企業を少し、それ以外は全くエントリーも説明会も出ていなかった。何にも無い状態からのスタートである。インターンに参加した事のある会社を片っ端からエントリーした。ちなみに、この時期から完全に就活はオンライン化。説明会も面接もオンラインが基本になる。

 

アプリ制作会社/営業職

この会社には本当にお世話になった。2年にインターンに参加した会社だったが、色々なアクシデントと縁でお互いに印象に残っていた。この会社では営業職で面接をして、最終面接まで進んだ。前回の反省を活かして面接を行ったが私には自我がありすぎた。

 

どうしてもデザインをやりたい気持ちを捨てきれず、デザインと営業を頑張りたいと伝えてしまった。それ故、ミスマッチが起きてしまっていると会社は判断したんだと思う。あ、ちなみにこの会社は最終面接の結果1ヶ月待った。

 

結果は不合格でメールできたけど、人事がわざわざ電話もしてきてくれた。結果が遅くなった謝罪と不合格の理由を教えてくれた。優しい人だ、この会社を私はずっと好きだと思う。問題は不合格メールを確認する前に人事の電話に出た私のタイミングの悪さだな。ぬか喜びしたこの感情はどこにぶつけるのが正解だった???????

 

未だに分からん。

 

④ラブグッツのWEBコンテンツディレクター

ラブグッツ、、このまんまの意味の製品を売る会社。ノリと勢いで応募。落ちた。何が起きてこの会社を応募したのか分からん。

 

⑤看板×IT事業会社

この会社もインターンに参加して応募した会社。不思議なことに、全然インターンの時に興味なかった会社も余裕がなくなって必死になると魅力的に見えて内定が欲しくなるんだよな~~あの現象何?

 

2次面接まで進んで、面接官が人を分析するのが得意ですオーラだしてたのが印象的。色々質問されて順調だったけど謎に落ちた。受かってると思ってたからびっくり。でも落ちた理由考えたら受かるわけ無かったわ。

 

ちなみに落ちた理由は、予想だけど面接官の話してる内容が良いからメモを取ってたんだけど馬鹿だからパソコンでメモしてた。うん。メモ取ってるなんて相手は分からないし私は「メモ取りたいです!」なんて伝えて無いし、相手からしたらカチャカチャ俺が話してるのに何してんの?って感じだよね。

 

ここに来てマイペースと自由人が出た。B型よ・・・・。今だけは血液型のせいにしたい。この頃、意味の分からない大ぼけミスが多発してしまう時期であった。

 

ベンチャーのクリエイティブ系企業

就活のマッチングアプリで発見したベンチャー企業。面白そうだな、っていうのと広報系のお仕事も視野に入れていたから応募。

 

とりあえず軽く面談することになった。人事の人はラフな人で2個上というのもありリラックスして話した。話していくと、「君は営業が向いてる」「君はこの会社に来たらすぐに満足して違うって思うよ」「君にはもっと良い会社がある!」って言われて選考に進めなかった。

 

私はこの会社が面白いと思って応募したんだけどな・・・・って思いながらさよなら。

 

アフィリエイト広告事業会社/営業職

必死こいて広告事業会社を見ていたらアフィリエイト広告の会社を見つけた。網無我夢中で何でもいいから広告会社!って思っていた私は、何も分からないまま営業職でエントリ-。動画選考が通ってしまった。2次面接の前に、人事との面談?をした。(何か方向性がマッチしているかの確認と面接のアドバイスのためらしい)

 

始めて人事との選考じゃない形での面談。私が企業研究をちゃんとできていないこと、やりたいことを押し殺して営業で頑張りたい!って言ってたのを見抜かれ「あなたはこの会社じゃなくて制作会社とかがいいんじゃない?」を言われパニック。

 

今だと、色々見えるのに、当時は私は何がしたいのか・私は何を伝えたいのかが分からなくなってパニックだった。

 

そして遂に前代未聞の人事面談で泣き出すという暴走にでた。必死になだめる人事。泣き出す限界就活生。まさに地獄絵図だ。こんな悲惨な様子、目を覆いたくなりませんか???2次面接は一応受けて落ちる。

 

⑦やばい宗教みたいな説明会をしてたイベント会社

唯一、説明会を受けて選考辞退した企業。基本的に説明会に出たら選考に進む私が辞退するぐらいだから、ヤバさが際立っていた。どうしても書きたい。

 

まず基本的に説明会は1時間、長くても1時間30分が相場だ。その中、この会社の説明会は2時間だった。この時点でげんなりしていた。目が怪しくぎらついた笑顔の社長が出てくる。

 

第一声「私はパワポも何も使わず言葉だけで伝えます。絶対に後悔させない説明会にします!」と言った。え、データも見せずに何を語るんだ?大丈夫か??と不安になる私。

 

話した内容はうろ覚えだけど福利厚生が凄いとか(実際に、なんだこれ?みたいな福利厚生があった)プライベートの充実とかそういう話ばっかりしていた。挙げ句の果てになぞの戦争の話になり「生きるとは?」がテーマになって、泣きながら聞く就活生が出てきた(感動の涙?)

 

怖い。この感想のみ。恐怖が勝ってみん就に書き込みしてしまったぐらいだった。

 

⑧通信系事業会社

ひたすら説明会をエントリーしてた時期にIT企業ってだけで説明会に応募した企業。

 

説明会参加者は1次面接免除!って言葉につられた。簡単につられてしまう系就活生だった。ホントにふわっとしか説明会内容覚えてないけど、WEB事業があるし、やる気がある何でも頑張れる就活生が欲しい!って言ってたから選考に進んだ。

 

二次面接は対面。この時期に対面かよ・・・と思いつつ都内に電車で向かう。雨が降り行きの電車は人身事故で3時間かかった。面接ばっくれるか本気で悩んだが、人間としてそれはどうなの?と思い体にむち打って向かった。街中でスーツを来た就活生は全然見なかった。もう体力は0だった。

 

面接会場で1対1の面接。アンケートを書いて「あなたの希望する給料額は?」「あなたは年収いくらほしいか?」みたいのを各欄があった。面接はアンケートをメインに進んで全然質問されない。私はWEB事業に進みたいと伝えると部署の選択は自分ではできなくて、会社が行うと言われた。希望はほぼ通らないとのこと。でも、内定が欲しい亡霊を化していた私は話を必死に合わせようと何でも頑張りますんで~って話した。

 

多分、無理に合わせてるのが伝わったんだな。いやー君は向いてないよ。将来への決意が足りないって言われた。限界就活生、地雷のように爆発するのが早い。

 

思わず聞いた。「人事の方はなんでこの会社に決めたんですか?」すると「僕は転職で入ってきたけど、事業内容には一切興味ないよ。給料と成長で決めた」お前の成長ってなんだよ、とプチ爆発。成長って便利な言葉だな!!!成長って結局何なんでしょうか?使い勝手の良い言葉は時にむかつきますね。

 

一応言っておくと、内定欲しい妖怪になってる私が全て悪い前提で話は進めるよ。

 

「人事の方の思う決意の固い人はどんな人でなんの要素がありますか?」そして人事は「意思決定の強さかな」と答えた。「そうですか、意思決定大切ですよね。私は何でもやりますって伝えていましたが、私はやりたいことがあります。何でも頑張れるわけではないです。私はこの会社じゃないですね。帰宅させていただきます。」と言ってしまった。

 

やっちまった感、でもそれと同じように、何でも良いから内定が欲しいって考え方は辞めようと思った。私は自我が強い、やりたいことがある。そう思った日だった。

 

 

この他にも沢山企業のES出してるし面接もした。今思うと、無我夢中で何も見えてないってやばいなーって思う。しかも自己否定もしだして自信のなさが相手に伝わる。言葉にうまくできなくなる。負のループの完成だ。

 

1社落ちては3~4社の説明会に応募する。駒が減るのが怖い。また1からスタートする体力が無い。良い企業は選考ステップが長すぎる、終わりが見えない。でもこだわりは強い。みんな終わってる就活。月の流れが速い。募集も減っていく。

 

まさに典型的な負の就活生ループにどっぷりハマっていた。どんな私でも行動するのだけは辞めないようにしていた。説明会も面接もエントリーも休まず片っ端からしていた。要領の悪い人間は地道にやってくしかない。逆転勝利は突然起きないんだ。

 

母親や兄弟には「就活は早いもの勝ちじゃないよ、最終的にどうなってるかだよ」「こだわってる人が早く決まるわけがないじゃない!自分のペースでやれば良いんだよ!」って言われたのは救いだった。

 

でも本当に追い詰められると、その有り難い言葉すら届かなくなるんだよね。なんで私は決まらないんだろう、正解は何でしょうか?こればっかり考えてた。

就活日記①7月終わる3日前に内定がでた話

7月の終わり、世は就活が落ち着きだし、周りの友人もほとんど就活を終えていた。私は仲の良い友達の中でも特に最後に決まった人間だ。

コロナによって旅行に行く人や居酒屋で飲みまくる人達をインスタのストーリーで見なかった事は大きな救いだったかも知れない。てか、インスタのストーリー全員ミュートしてたからどっちみち見てないわ。

 

就活を経て色々な事を考えたし心が死んだし、自分を嫌いになった。でも、その代わりに他人の優しさに気づいたり、自分の「私って良いじゃん?」って部分も見つけた。

まあ、もう絶対にやりたくないけど。オンラインでの就活は前例が無く手探りだったのは就活生も企業側も同じだ。それでも、『就活』をしてきた人特有の苦しみを身を持って経験したと感じてる。

選ばれる、選ばれない。不合格のメール。サイレント。人事のよく分からない質問。何が正解?って思いながら自分の自己肯定をすり減らしてやってきた就活。高い奨学金を背負ってまで勉強してきた事を認められない悔しさ、悲しさ。自分の能力のギャップ。

 

就活を終えて私は、①twitterに現れる自称人事と言って学生の味方面して色々アドバイスしてくる奴②就活はゲームだ、とか言っちゃう奴が嫌いになった。

twitterで人事垢のアドバイスに頭を悩ませる人は徹底的にブロックしろ。就活はゲームだとか言う奴は殴れ!お前がゲームだと言って笑う物に命賭けてんだ、こっちは。

この記録は私の振り返りだから、記憶が曖昧だったりめちゃくちゃ私の主観が入りまくる予定。何か教えたいとか何かコツを伝えたいみたいな、たいそうな事は無い。だけど何か元気になるきっかけになったら嬉しいです。

 

 

①私のスペック/大学について

私のスペックを書くとこんな感じ。偏差値50ぐらいの高校から付属の大学へ進学。

一応理系だったが、数学は何一つできない。なぜ理系に進んだ。なんなら算数から怪しい人間だ。かといって文系の暗記が得意だった分けでも無い。英語もゴミ。できる人を本当に尊敬する。そのくせ大学2年生の時、海外ボランティア10日間とかに参加したから親譲りの無鉄砲なのかもしれん。(坊ちゃんかよ)

でも国語は大好きかな。そんな私は絶対に自分のしたい事しか勉強を頑張れないって分かっていたから、デザインを選び学んだ。高校生の時からデザイン系の仕事に就いて広告業界で働きたいって漠然と思っていた。

大学の2年間、地獄の(楽しかったしめちゃくちゃ良い思い出だよ)某有名予備校のアルバイトをする。ここのアルバイト経験が私のガクチカに繋がった。

大学の制作活動も負けたくないから絶対に選ばれるようにしていた。教授に気に入ってもらって沢山教えてもらった。(この教授との大事件もいつか書きたい)頑張っていたからこそ、「みんなよりも早く内定が欲しい」「みんなから凄いねって言われたい」という見栄や自己評価化け物がむくむくと大きくなっていった。小さな見栄や自己評価は小さいからこそ輝きがあり可愛らしく愛しさがある。しかし、その容量を超えると醜い化け物になる。私は、それを隠すのが上手で自分自身も就活をするまで気づかなかったのだ。

 

性格で言うと生粋のB型。私は人見知りしない(?)性格で誰とでも話すのが好きだった。人見知りじゃないわって大学に入って気づいた。死ぬほどのお喋り好きで口が止まらない。笑わせるのが好きだった。自分の失敗話も笑い話として話すのが好きだった。なんか、こうやって書くとめちゃくちゃ頑張り屋さんの陽気な奴やんって感じるんだけどなんだこれ???

問題も沢山あるぞ。まず自分の意見が強すぎる。自我が強すぎって事だ。それ故、一直線に走り出したら止まらない止まらない。それに爪の甘さも相まって完璧主義者が見たらぶち切れ(多分普通の人が見てもぶち切れ)の大ミスをやらかすのが私だった。ちなみにこの問題点は就職活動で大きく発揮してしまった。馬鹿である。

 

就活で大切と言われる自己分析。私はそれができているって高をくくってた。自我の強い一直線女には爪の甘さが自己分析にも出ていた。「他人から見た自分より、私の方が自分を一番分かってる」って本気で思ってた。違うんだな。自分の知る自分はほんの小さな部分なんだな。私はこんな人間だって思っていても他人がそう思わなければ違うのかもしれない。自己分析は1人ではなく、友達とできれば沢山話しながらやるのが良い。それに気づくのが遅かった。

 

ガクチカ/挫折経験

ガクチカって略すの知らなかった時期、まじで何の意味?どういう流行?って思ってた。学生時代に一番力を入れたこと、私は塾でのアルバイト経験と大学の制作活動をメインにESに書いたり面接で話していた。この部分に関しては本当に頑張っていたし、問題は無かったと思う。私はアルバイトでバイトリーダーをしたりしていた経験もあって色々話すことができた。

これと同じように『今までの一番の挫折とそれを乗り越えた話』が聞かれる。この挫折話について私は大学時代の話が良いだろう、面接官に評価されるように話した方が良いのかな?と考えて本当の意味での挫折経験とは違った話をずっとしていた。簡単に言うと、塾のアルバイトを頑張った話に少し挫折経験を織り交ぜて話していた。自分自身、一番の挫折じゃ無いから話す内容に濃さも無く、今思うと多分面白くないよなって感じる。病んでた時期は本気で、挫折経験は「今この就活」で乗り越えるには「お前が内定くれればいいんだよ」って思ってた。(過激派、でも絶対にそう思ってた仲間がいるはず)

私の人生の一番の挫折経験は高校時代に遡る。この挫折経験を話して本気で自分の苦しみと学んだ事を話すことができた会社が1社だけだった。その会社から内定をもらい私は働く。この話を出すまでに本当に時間がかかった。ここの話も詳しく書きたいな。

 

就活の条件/業界や職種

広告代理店のデザイン部署に入りたい!という目標の下、就職活動を始めた。勿論私は美大出身でも無いし募集人数がそもそも少ない世界である。過酷を極めた世界に入っていこうと意気込んでいた。そこから就活を始めてどんどん方向性が2転3転としていったけどここは大切にしてたかな?って項目を書き出してみる。

広告業界/WEB業界

=デザイン部署(ディレクター/デザイナー)

ふんわり営業(?)を視野に入れてる

 ◎広告業界/WEB業界

=デザイン部署(ディレクター/デザイナー)

営業・広報

WEB業界

=デザイン部署

WEBディレクター/WEBデザイナー

に業界や職種は変化していった。変わらないっちゃ変わらないのか?

広告に携わりたいという思いは変わらず持っていたが、広告代理店の就職ではなく今あるカードで戦えるのは何か?を考えてWEB業界のデザイン部署での就職に最終的には落ち着いた。大学での勉強内容とかのマッチが高いのがこっちだった。個人的に企業選びで気にしていた項目が

・オールインハウス

ベンチャー要素がある社風

・オフィスが綺麗か素敵か

・給与が私の基準を超えるか(奨学金返済があるためシビアに見た)

・東京勤務の移動なし

・住宅補助ができれば欲しい

・若者が多く働いているか(おじさんが嫌い)

・制作会社やデザイン事務所は絶対に嫌だ

である。最後の項目に関しては何で???ってなると思うけどおいおいこれも書く。

そもそも何で、広告業界に進みたくてデザイン学んだ?って話だけど、私は小さい頃からデザインが好きだった。何か頭飛び出た物が無かったり(勉強はダメ運動は普通)結果が残せない私でもデザインでは褒められることが多かった。そんなデザインが最高にかっこよく使われて人の心に残る媒体が広告と感じたのだ。そこで働けたらどんなに良いだろうと思ってずっと夢見てきたのだった。と言っても有名大学でもなく、スペックの高い人間でもない自分は広告代理店への就職は難しいんだけどね。

 

私はデザインスキルをめちゃくちゃ伸ばしてプロのデザイナーになって独立したい!!とか、私の芸術性を!!とかって感じじゃ無いんだよね~。会社の組織の中で、クライアントやユーザーのために、あーでも無いこうでも無いって物作りをしたかった。

 

ここからは受けた会社とか、出来事を書いてくよ!思ったより書き込んじゃうわ!!卒論より指が動く動く☆ミバイト行ってこよっと。気長にお付合い下さい~~~

 

 

 

 

初めまして404です。

初めまして404です。エラーちゃんと読んで下さい。

21卒の関東在住。昨日、人生で初めて内定をもらい遂に就職活動が終わりました。私は来年からWEBデザイナーとして働きます。NNTという言葉を知らないまま就職活動を終えたかったが、無理だった。

 

毎日を日記を書いていますが私が思った事や出来事が多すぎて、blogに残してみよう!と思いblogを始めてみようと思います。

基本的には就職活動の思い出をつらつらと書いて、何年後かに読んで笑いたいという目標があります。多分、みんなが絶対にしないような大失敗もしてるから「こいつ馬鹿だなー笑」って読んで元気を出して欲しいとも思う。

 

更新もおそらく頻度高めにやるのは最初だけだろうし、blog初心者だから誤字脱字よく分からない意味とかも沢山出てくるけど気長にお付合いください。今めっちゃやる気十分の暇野郎なので(卒論しろやって誰か言って)書きまくろうと思います。

本当に長くて辛い就職活動だった。コロナで辛いニュースも多いし就活のストレス発散も何も無い毎日。twitterの就活垢の投稿を見て過ごす夜・・・。リモートの就活は良い事も悪い事も沢山あった。

 

そんな私ですがどうぞ宜しくお願い致します。

(私のblogを見るの楽しみと言ってくれている貴重な友人のためにも更新を頑張りたい!!!!)